【5分で読める】ウマ娘はどんな馬? ウマ娘図鑑[5]サイレンススズカ

《ウマ娘 プリティーダービー》で登場するウマ娘のモデルとなった現実の競走馬を知っちゃおうという企画。

本日は【サイレンススズカ】の登場です。

今回のご紹介を読んでいただけることで、特に《現実》における競走馬としての物語が分かるようになっています。

《現実》における結果を知ることで、そのウマ娘の特性(距離適性など)も知ることができるので一石二鳥!

《現実》の競走馬に詳しくない方は、これを機に競走馬も知ってもらえると嬉しいです。

この記事の内容

《ウマ娘》のサイレンススズカ

まげるブログ_サイレンススズカ
© Cygames, Inc.
身長161cm
スリーサイズB70・W53・H79
誕生日5月1日
CV高橋 麻里佳

アニメのシーズン1の主人公のひとり。
(もうひとりはスペシャルウィーク)

明るめの栗毛で緑色の耳カバーをしている。
スペシャルウィークの1年先輩で《現実》と同様に逃げるのが得意。

チーム<リギル>に所属していたが、スペシャルウィークが加入するあたりでチーム<スピカ>に移籍。
スペシャルウィークとは寮でルームメイト。

物静かな性格をしているが、走ることが好きであり、走ることでみんなに希望や夢を与えたいと思っている。

《現実》のサイレンススズカ

まげるブログ_サイレンススズカ(現実)
誕生日1994年5月1日
サンデーサイレンス
ワキア
母の父Miswaki
生涯成績16戦9勝(※)
G1勝利数1
主な勝ち鞍宝塚記念
(※)国内:15戦9勝/海外:1戦0勝

遅生まれであったこともあり、デビューは遅れて4歳2ヶ月目であった。

しかし当初から調教では好時計を連発して評価はうなぎ登り。

クラシックのひとつである皐月賞(GI)を目指して、トライアルである弥生賞(GII)に出走。
しかし、ここではゲートで事故を起こし、あげく10馬身も遅れ結果として8着で終わる。

またこの時のゲート事故により20日間の出走停止となり皐月賞(GI)への出走はならなかった。

その後、条件戦・東京優駿(日本ダービー・GI)のトライアルレースも勝利したサイレンスズカは東京優駿(日本ダービー・GI)へ出走。
同じ逃げ馬である皐月賞馬サニーブライアンと激突。

サニーブライアン陣営の策略にハマり、本来の持ち味である逃げを控えたことで自滅。9着へと沈んでしまったのである。
(サニーブライアンが勝利してクラシック二冠達成)

同年の秋は神戸新聞杯(GII)から始動。
しかしここでも敗退し、デビュー戦から騎乗してきた上村騎手はここでお役御免となった。

その後は、河内騎手に代わり天皇賞・秋(GI)、マイルチャンピオンシップ(GI)と立て続けに挑むが敗北。
招待された香港国際カップ(GII)でも5着と沈む。

この時点で日本ダービーから5連敗であり、9着→2着→6着→15着→5着の成績であることから人々の記憶から消えつつあった。

しかし、香港国際カップから騎乗した武豊騎手だけは、サイレンスズカを高く評価していた。
そしてここから、サイレンスズカが覚醒していくのである。

年が明けて5歳(現在であれば4歳)。
バレンタインS、中山記念(GII)、小倉大賞典(GIII)と立て続けに連勝。

これらすべてのレースを逃げ切り勝ちという、サイレンスズカのスタイルが確立された勝利であった。

名馬であっても、レース中に馬群に沈んで力を発揮できず終わることは多くある。
馬群に飲まれないためには、最高のスタートを切って逃げ切るしかない。ただ、分かっていても事はそう簡単ではない。

しかしサイレンススズカは、そんな「ライバルに何もさせない走り」を実現する数少ない馬であった。

そして今もなお競馬ファンの記憶に残る金鯱賞(GII)に出走。

金鯱賞には菊花賞馬であるマチカネフクキタルをはじめ実力馬が揃っており、ファンもサイレンススズカがどのようなレースをするか興味津々であった。
結果は、強豪馬をもろともせず圧倒的な大差で勝利。

この勝利によりサイレンススズカは一気に注目の的となった。

1998年 金鯱賞(GII)

その後、宝塚記念(GI)に出走。
相棒である武豊騎手がエアグルーヴ騎乗の先約があり、ここだけ南井騎手が代役として騎乗。

宝塚記念(GI)はサイレンススズカが苦手とする右回りのレースであり、尚且つ騎手は代役。
これだけ不利な条件が揃っていながらも、結果として3/4馬身差で勝利したのである。

これがサイレンススズカにとって、最初で最後のGIレース勝利となった。

1998年 宝塚記念(GI)

宝塚記念を勝利し、次の目標を天皇賞・秋(GI)に定めたサイレンススズカ陣営。

秋シーズンの初戦として毎日王冠(GII)を選択するが、ここで2頭の無敗馬がサイレンススズカの前に立ちふさがった。

前回、以下の記事で取り上げたエルコンドルパサーとグラスワンダーである。

この戦いにはひとつの大きな意味があった。
当時(1998年)では、外国産馬は天皇賞やクラシックに出走できないルールであった。

そのため、国内産の中距離最強馬であるサイレンススズカに焦点を当ててきたのである。

毎日王冠はGIIレースでありながら、「国内産馬 VS 外国産馬」という意味合いを持ち、当時のファンに非常に注目された一戦となった。

その証拠に、GIIにも関わらず13万人の大観衆が詰めかけ、「この3頭を相手にしたくない」ということで出走馬も10頭未満であった。
(なお、この3頭以外に出走した馬も、1頭を除いて重賞勝利の実績を持つ馬であった)

結果はサイレンススズカの圧勝。

スタートから飛び出したサイレンススズカを、グラスワンダーもエルコンドルパサーも捉えることができず終わったのである。

1998年 毎日王冠(GII)

そして大本命である天皇賞・秋(GI)に挑んだのである。

この時点で、未来におけるサイレンススズカには様々な期待が寄せられていた。
それほどまでに衝撃的であり圧倒的だったからである。

そして迎えた天皇賞・秋。

これがサイレンススズカの生涯最後のレースになったのである。

いつも通り飛び出したサイレンススズカは、いつも以上のペースで2番手以降を突き放した。

テレビで見ていてもその差は異様であり、どのような結末を迎えるのかワクワクさせてくれた瞬間だった。

しかしそれは第4コーナー付近で起こった。
突然の失速からの不自然な足運び……誰の目から見ても故障が発生したのは明らかだった。

当時、管理人もリアルタイムでこのレースを見ており、そのショックは言葉にできないほどであった。
観ていたほとんどの人がサイレンススズカの状態が気になり、レースの結末に気がいった人は少数だったのではないだろうか。

左前脚の手根骨粉砕骨折

怪我からの復帰を期待されたが、予後不良となり安楽死の処置がとられることに……。

こうして、サイレンススズカは競走馬というだけでなく、その生涯にも幕を閉じることになった。

なお、サイレンススズカは天皇賞・秋(GI)の後は、ジャパンカップ(GI)に出走した後、すべてのレースが得意である左回りレースであるアメリカへ遠征する計画があったのだが、全て夢に散ったのである……。

タイトル情報

製品名ウマ娘 プリティーダービー
プラットフォームiOS|Android
ジャンル育成シミュレーション
発売元Cyganes
開発元Cyganes
リリース日2021年2月24日
まげるブログカバー_サイレンススズカ

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この記事を書いた人

ゲーム大好きパパゲーマー『まげる』が、独断と偏見でお送りするゲームブログです。

メインはプレイしたゲームの感想レビューとなり、ゲームに特化した記事を投稿しています。

ゲームに対しては甘口ですが、開発者に対しては辛口傾向にあります。

一応、10年以上ゲーム業界で働いているゲーム屋でございます。
(だから開発陣には身内感あってちょっと辛口)

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